今日は『信仰』についてのお話です。
信仰って、いかにも堅苦しい言葉に感じますよね?
私も、信仰って、宗教用語のように感じて、何だか難しいし、「私には、よく分からない」と思っていました。
でも最近、
「これが信仰を持つということかぁ」
「信仰を持つって大事だなぁ」
…と思うことがありましたので、ちょっとお話してみたいと思います(*^^*)
以前も話したかもしれませんが、私は子供の頃、あまり家庭環境に恵まれなくて、
ずっと、
「自分は、居てはいけない子」
「みんなに嫌われている」
という感覚を持って育ちました。
そして大人になってから、その感覚が、いかに自分を苦しめていて、今の人間関係に悪い影響を与えているかに気付いて、それを何とかしたくて、
まず心理学の勉強をし、それから、スピリチュアルな真理にも興味を持って、本も何冊も読みました。
そうして、記憶の整理をし、
自分を許し、
又、周りの大人にも、いろいろと事情があったことを理解して、周りの人も許し、
一応は、
「私だって、価値のある存在」
「ちゃんと、みんなに愛されている」
…と思うことができるようになりました。
でも、それでも時々、ハートが枯れるような出来事があると、どうしようもなく心が落ちてしまって、
子供の頃の、あの、
「自分は、誰にも受け入れられていない」
という感覚がフラッシュバックして、
「みんなに疎まれている」
という感覚を、どうにも消せなくなってしまうのです。
そして、もう、これは、
「一生続くのだな……」
と思いました。
どんなに、記憶の整理をして、
頭では理解して、
納得したつもりでいても、
「三つ子の魂百まで」ではないですが、
子供の頃に染みついた感覚は、完全に消すことはできず、
8割ぐらいは努力で何とかなっても、
2割ぐらいは、
「一生残っていくものなのだなぁ」
と思ったのです。
でも、そんな時に思い出したのが、スピリチュアリズムの『守護の法則』です。(スピリチュアリズムの法則について詳しくお知りになりたい方は、こちら⇒『8つの法則』)
つまり、
魂の存在である私達には、その故郷である魂の世界に”魂の家族”がいて、
その魂の家族と縁のある”高級神霊”もいて、
それらの光の存在は、
いつも、どんな時も、私を愛してくれている。
…ということを思い出したのです。
それは、
「○○ができるから」とか、
「○○を持っているから」とか、
自分にとって都合が良い相手だけを受け入れ、
自分にとって都合が悪い相手は受け入れない、
…というような、人間的な『条件付きの愛』ではなく、
いつも、どんな時も、どんな私でも愛してくれる『無条件の愛』で...
もちろん、それは、私を甘やかすという意味ではなく、
私のことを思えばこそ、厳しくする時もあるけれど、
それも、私の魂の成長を願う、深い愛で...
そんな『無償の愛』で、
私は、いつも見守られている、
愛されている、
…ということを、思い出したのです。
それを思い出したら、少し心が落ち着いて、
冷静さを取り戻すことができました。
そして、その時に、思ったのが、
「これが、信仰を持つということか…」
ということです。
つまり、
何かを信じることで、
それを、”心のよりどころ”とすることで、
自分自身でいられる、というか、
ブレずにいられる、
それが、
『信仰を持つ』ということではないか?
と思ったのです。
そして、同時に思ったのが、
「信仰を持つって、本当に大事だな」
ということです。
何故なら、
先程もお話しましたが、
どんなに努力して、自分の過去や自分自身と向き合って、マイナス面を克服したつもりでも、
人間は100%完璧ではないから、
2割ぐらいは、「どんなに努力しても無理(>_<)」ということが出てくると思うんですね。
だからこそ、
最後は、『信仰』なのかな、
と思います。
人は、歳をとるにつれて、信仰に向かうというか、
年配の人ほど、信心深い人が多いですが、
それは、人生を長く生きて、いろんな経験をした人ほど、
「人間は完璧じゃない」ということ、
「この世に完璧はない」ということを、
悟るからではないかと思います。
だから、信仰に向かうのではないでしょうか?
どうしても無理な、その2割を、
信仰の力で補うために...
だから、信仰を持つことは、本当に大事なことだと思います。
でも、信仰と言っても、スピリチュアリズムじゃなくてもいいと思います。
信仰の対象が、宗教や、スピリチュアルな存在じゃなくてもいいと思います。
人によっては、「芸術」かもしれないし、「自然」かもしれないし、「アイドル」が心のよりどころ…という人だっていると思います。
信仰と言っていますが、言葉は何でもいいのです。
要するに、
「これだけは、何があっても私の味方!」
「これだけは絶対に、私を裏切らない!!」
というものを、持つといいのかなぁと思います。
私の場合、自然が大好きで、自然も心のよりどころとなっていますが、
よく、心が疲れた時、自然の中に散歩に出掛けます。
その時、
「自然は、絶対に私を裏切らない」
…と、いつも思います。
何故なら、自然はいつも、私を優しく受け入れ、癒してくれるからです。
心の弱った時に、自然の中に出掛けていって、余計に弱ったとか、傷ついたなんて経験は、一度もありません。
だから、心のよりどころは、宗教じゃなくても、何でもいいと思います。
「家族」でも、「仕事」でも、「嵐」でも(←古い?笑)
依存(それが無くてはダメになってしまう)さえしなければ、本当に何でもいいと思います。
人生いろいろありますから、
どんなに心の強い人、自分を律して生きている人だって、
時には、どうにもならない時だってあると思います。
その時に必要なのが、『信仰』ではないでしょうか?
人生は、
『8割が努力で、2割は信仰』。
最期まで、人生を”心丈夫”に、軽やかに生きている人は、
そのことを知っているのかもしれません。
今日も最後までお読み下さり、ありがとうございました(*^^*)
🌸初めましての方は、こちらもお読み下さい→サイトについて
🌸プロフィールはこちら→プロフィール